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半世紀

いきなりですが、9月頭で50歳になりました。節目ということで、私が生まれた昭和42年について少々調べてみました。

昭和42年、1967年ですが、この年に生まれた人口が約190万人、前の年の干支が丙午(ひのえうま)でして、「丙午生まれの女性は気性が激しく相手の男性の命を縮める」という迷信があったため、丙午に出産することを避けようとして出生数が130万人まで落ち込んだ反動で昭和42年生まれはその付近の年代の中でも出生数の多い年となりました。

これは後の受験などでも影響が大きく、昭和42年生まれは常に何かと高い競争率の中で生きてくことになったわけです。ちなみに近年の出生数は約100万人ですから、現在はいかに少子化かという話です。

昭和42年はどんな年だったかというと、テレビのカラー放送が東京キー局で開始され、吉田茂元首相が亡くなり、タバコはハイライトが80円、大卒の初任給が3万円程度の時代です。流行語としては、「アングラ」「核家族」「ハイミス」「フーテン族」「ボイン」だそうです(笑) 今や耳にすることはない言葉ですね。

こうして調べてみると、この50年で人間の生活も大きく変わったものだとあらためて感じます。小学校のころ、21世紀の生活というテーマで絵や作文をした覚えがあります。

お決まりは、ロボット、テレビ電話、透明のチューブの中を浮かんで走る車です。

 

前者2つは見事に実現されましたね。チューブの中を浮かんで走る車はまだありませんが、自動運転も本格的に導入されはじめました。おそらくはまたこれからの50年で人間の生活はさらに大きく変化していくのでしょう。しかし、どうやら夢のある話ばかりとはいかないようです。便利さを追い求めたツケが地球環境のいろんな問題を招いています。あと50年、「いかに発展するか」ではなく、「どうやって存続していくのか」、という50年になるかもしれません。樹脂業界に身を置くものとしても考えて行動していかなければと思います。

さて、サラリーマン寿命もだいぶ少なくなって参りました(汗)

弛んだ体に鞭打って、もうひと頑張りと参りますか!

熊本営業所  櫻田